「残念就活生」と「ハイレベル就活生」を容赦なく分断する、3大典型ポイントとは?

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“どんな学生を雇いたいと思いますか”“優秀な学生って、どんな人ですか”について講師に伺いました。そもそもそういう質問事態が、センス無き「残念質問」の典型例なので、間違っても面接で聞かないようにしましょう。よく学生さんが言ってしまいがちな、論理的思考能力、分析力、コミュニケーション能力は、重要ではありますが、最優先事項ではありません。要するに「信頼できる人間だ」「その成功を助けてあげたい」と思われるキャラかどうかですが、その要素を見てみましょう。

「残念就活生」と「ハイレベル就活生」を容赦なく分断する、3大典型ポイントとは?

よく、“どんな学生を雇いたいと思いますか”“優秀な学生って、どんな人ですか”とか聞かれるので、その対比を少し記しておこう。

今までの長年の採用面接経験を振り返り、素晴らしい就活生は、やはりその後の入社後も素晴らしい活躍をしている。正直で責任感があり、他人をサポートするし、何を任せても結局、他の人に頼むよりよい仕事をして返してくれるのだ。その特徴をさらにいくつか書いてみよう。

まず第一に、誠実で正直で謙虚で、協調性を備えた人達である。思慮深く、謙虚で、他人をたてるので、周りの人をやる気にさせてくれる。

ビジネスで重要なのは学校の偏差値やテスト対策のうまさではなく、信頼とチームの雰囲気を良くする人材かどうかなのだ。

第二に、回答の各ピースが一貫したストーリーを織りなしている。言い換えれば、ビジョンとこれまでやってきたこと、そして今から志望先でやろうとしていることに一貫性・連関性がある。

将来ビジョンと自己分析が繋がっており、自己分析は過去の具体例に裏付けされている。つまるところ、抽象的な言葉のむなしい組み合わせではなく、地に足がついているのだ。

今あなたが面接官に言うビジョンは、3年後にはその具体例が99%変わっているだろう。20代や30代のビジョンなど限られた経験と情報に基づいているので「具体的にやること」レベルでは変わっていって当然だ。

しかし「具体的なやること」の根底にある「価値観レベル」で、何が自分の原体験で、動機になっているかを自己認識しており、それを伝えられるのだ。

第三に、質問も知的に面白く、こちらの頭を刺激してくれる。

私にHPや他のサイトで乗っているような初歩的な質問はせず、相手だからこそ答えられる、絞った面白く意義深い質問で更に私をImpressする。

残念な学生とは:傲慢で賢ぶっていて、”この人を助けたい”という気持ちを決して起こさせない

逆に駄目なのは、上の反対なので書くこともないが、加えていくつかの典型的残念要素を言おう。

まず第一に、自己PRとは裏腹に、コミニュケーション能力が崩壊しているタイプだ。

最も多いのが「論理的でコミニュケーションがあります」、とか長ったらしくアピールしてくるタイプ。しかししどろもどろで何を言っているかわからず、まったく論理的コミニュケーション能力がないことが露呈してしまっているケースも少なくない。

かつ、コミニュケーション能力を、論理的かどうかと勘違いしている点が、すでにお寒いのである。

コミニュケーション能力とは相手が何を考えていて、感じていて、何に関心あるかを悟り、求めている情報のレベル感に合わせて端的に、かつ信頼される話し方で伝えることなのは、いうまでもない。

第二に、不遜な態度で周囲を馬鹿にした態度をとる人だ。それを隠そうと笑顔で面接官には下手に接しても、グループディスカッションや気を抜いた時に、本質的にうぬぼれた失礼な人間性が吐露されてしまうような人達だ。

日本はLand of Modesty、謙虚さが最大の美徳とされるが、待合室や受付での不遜な振る舞いが、巨大な悪印象を残すものなのである。

そして第三に最も苦しいのが、”聞かれる質問がつまらない”ことだ。採用イベントでセミナーで話していても私の時間ばかりか、他の参加者の時間の無駄になるような愚問しか振ってこない。

日常会話でも質問のセンスのない人は、面接でもセンスのない質問をするし、ビジネスでも取引相手にセンスのない話ばかり振ってしまうものである。

これらの要素を一言で言うと、”仕事を任せられない”ヤバキャラオーラ”を、四方八方に発散させてしまっているのだ。学校でのテスト勉強と異なり、記憶力や理解力だけで勝負がつくわけではない。

誠実さや正直さ、それらを含め、一緒に働きたいと思われるかどうか、そして「この人は可愛げがある、その成功を助けてあげたい」と思われるかどうかが肝心なのだ。

仕事は賢いが傲慢で周りに支援され得ない人より、勉強できないが愛すべき存在で周りの支援を得られる人の方が、よっぽど価値を生む。

結局のところ、”この人を助けたい!”と思わせる可愛げがあることが大切であり、最後「結局のところ、一緒に働きたい気持ちになるかどうか」で合否がわかれるのである。

これを機に是非、「自分は人様にとって、助けてあげたいキャラクターかどうか」を自問してみよう。

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