
キャリアを変え、弁護士取得を考える若手ビジネスパーソンは意外と多いモノです。実際に弊社講師陣の中でも、米系投資銀行から弁護士に転職した人が、実に2人も存在します。以下では名門・サリヴァンクロムウェルのニューヨーク本社で働くストロングキャリア講師陣の一人が、米国リーガルマーケットと「弁護士資格とったくらいではほぼ無意味」という、キャリアの実態を解説します。
転職相談:将来は外資系法律事務所への転職を考えてますが、米国資格が有ですか?
官庁勤務 男性より質問
御セミナーは、外資系の金融やコンサルを中心に扱っていらっしゃいますが、外資系の「法律事務所」への転職はどれくらい難しいものでしょうか?
日本のそれとは違い、米国における司法試験は遥かに合格率が高いと聞いております。
私はこれまで某政府官庁に勤めており、国家公務員試験1種の資格を有しています。
この際渡米して、米国の弁護士の資格もとれば、東京や世界各地において外資系法律事務所でかなりのステータスと給与が得られるとみこんでいるのですが、お考えをお聞かせ願えますでしょうか?
これまでの官庁におけるキャリアのお陰で、私には「Government of Japan」を背負っているという自負心もあり、LLMという米国ロースクールのプログラムに一年通って司法試験も通ればきっとトップの外資系事務所に入れるとみこんでいるのですが。
講師による回答:海外リーガル市場でのキャリアを考える時は、日本の弁護士感覚を捨てよう
日本の「法科大学院」のいくつかにも、米国ロースクール一年留学を通じてこのLLMという学位を取得することをあたかも「日本の難しい司法試験を回避する裏技」のように推奨しているところが散見されるような印象があります。
これは当事者にとって重大な影響を及ぼす危険な発想なので、これを機会に私見を述べます。
まず、外資系法律事務所の雇用マーケット。
貴方はきっと米国のウェブサイトを通じて、大手の弁護士事務所が日本円に換算して4000万円に近い金額の年収を若手弁護士に支払っているのを知ったでしょう。
しかし、海外のリーガルマーケットを考察する以上、日本独自の感覚を捨て去る(あるいは克服する)必要があるのです。
そう、この立派な年収は、その米国弁護士が「弁護士」だから得ているのではないのです。すくなくとも、それが主要な理由では到底ありません。
価値ある資格は、それだけ得るまでに苦しさが伴っていることに気づきましょう。
これは国内外を問わない普遍的法則です。
誰もが得られる資格なら、まさに文字通り誰もが取得して、供給は一挙に飽和状態となり、社会一般通念上「価値」は下がるでしょう。
いうまでもなく、ここで我々のいうその価値とは、社会的ステータスと年収です。
一流弁護士事務所の破格の高給は、別に弁護士資格の有無に依存するわけではない
では、司法試験の合格率が高い米国で、どうして外資系法律事務所はあれほどの「価値」を被雇用者に提供できるのでしょうか?
それは、「資格」の焦点が、司法試験の合否におかれていないからです。
米国で最も優秀なロースクールに入り、JD degreeと呼ばれる3年間のプログラムを終了し、しかもその中でも優秀な成績で卒業する。
これらの要素の総合体に外資系法律事務所は「価値ある資格」を見出します。
日本の「僕は難しい司法試験に受かり、弁護士の先生になったのだ」的な発想は、あっちからすれば意味不明です。
米国の優秀な弁護士も、日本の弁護士も、価値ある資格を手にするまでに、結局最低一度は普遍的法則に従います。そう、「死ぬほど苦しい思いをする」のです。
貴方が、もしむやみにどこぞやのロースクールで1年間のプログラムに入り、米国の司法試験だけ受けて「私はGovernment of Japanを背負った国際弁護士の先生だ。だから年収20万ドルと仕事をよこせ」みたいな態度をとったら、先方は顎の骨をはずしてびっくりするでしょう。
LLMという学位は確かに価値があります。
一年でも法律を勉強して、無駄なわけはないでしょう。
しかし、貴方の質問にあるような道は、簡単に開かないと考えましょう。
優秀な人にも会社にも理由があります。
トップクラスのそれであればなおさらです。
外資系法律事務所は、十分にトレーニングを受け、あらゆる選考過程で厳選されたピカピカのサラブレッドで、しかも若くてこれからどんどん成長してゆけそうな、そんな弁護士だけを集めようとします。
では、そういう人以外の外国弁護士たちは一体どこでなにをするのでしょうか?
中堅クラスの事務所で弁護士をしたり、まったく法律と無関係のビジネスをしたり、あるいは日本で騒がれているような「軒弁」に近いような存在もあります。
無職も多い。
しかし、このダークな部分を今掘り下げても、貴方の質問の答えにはならないので、これらは以後のトピックとします。
まずはとにかく現実をしっかりと知る。其の上で、覚悟をもって計画を立てるべきでしょう。