
外資系金融機関、特に投資銀行部門に入ると激務だと聞いている方は多い事でしょう。それでは、激務の中でも具体的に、どのような雑務で激務になるのでしょうか?またその「雑務の激務」に耐えるためには、何が必要なのでしょうか?外資系投資銀行で勤務するストロングキャリア講師が、「納得感醸成の重要性」について解説致します。
激務の果てに欲しいもの~ピカイチに虚しい外資金融転職の3大雑務とは??
若手投資銀行家の悲惨な実態~激務内容3パターン
既に覚悟が出来ている方も多いとは思うが、アナリスト、アソシエイト時代は大抵が、まず第一に資料にミスがないかチェックしつつ “パワポのフォントがグローバルフォーマットと適合しているかどうか”にキャリア人生をかけて取り組むのである。
第二に、エクセルワークが死ぬほど多い。アナリストの時代は、マクロを使ってデータアップデートなどを自動化し、正確に早くできるかどうかが命運を分ける。
第三に、これが結構虚しいのだが、「いかにうちのバンクがM&Aや増資、転換社債の発行で、グローバルでも日本でもナンバーワンか」というピッチ資料を、対象データを期間やサイズで区切ったり、なんやかんやイチャモンをつけて他社の大規模ディールを排除したりして、ほぼ全てのバンクが「うちが一位」みたいなピッチ資料を創る日々が待っているのだ。
これは顧客企業の問題点やソリューションを考えることに全く貢献しないので、投資銀行若手の虚しい作業の中でも、しょうもなさはピカイチではなかろうか。
以下に、投資銀行の激務から得られるものと失うものを紹介しよう。最近、アナリストーアソシエイトを6年やり、今年からバイスプレジデントになった外銀各社の友人達は、“結局1年目と大して変わらない泥作業が6年続いた”と嘆息する。
激務の果てに得られるモノ・失われるモノ~激務の対価としての報酬水準は、十分か?
午後11時50分に会社を出れて喜んでいるのはもはや、労働時間に対する感覚が麻痺しているといえよう。そんな激務の代償に何を失い、そしていったいどれくらいお金もらえるのか。
新卒から6年目の最終アソシエイトで、基本給はせいぜい2000万、ボーナスは年収の100%弱のイメージだ。VPになれば2500-3000の基本給。ボーナス込でも5000万、6000万で、そこから税金やら何やらひかれて結局3000万くらいしか手元に残らない、という割に合わない人も結構多いのだ。(ちなみに規制の緩かったリーマンショック前と比べ、上級幹部の億単位だった報酬は、10年でニューヨーク本社の報酬は半減している。しかし人手不足で日本支社の下っ端のベースサラリーは上昇している。)
投資銀行部門の異常な労働家賃が100万近い高級マンションへ住むことも、高級外車に乗り回すことも夢ではないわけだが、これを支えに3年-6年の人生苦行に乗り出せるか。真剣に考えてこの業界に入るか考えるべきである。
激務のあまり付き合える友人は限られてくるだろう。恋人との時間もなくなる。友達や家族との時間も相当失われるだろう。肉体面での負担も相当だ。仕事のストレスで35歳でスキンヘッドの太っちょバンカーに変わり果てているかもしれない。正味の話、年齢の割に禿げている人は多い。
一昔前と違いこの世の中、若くして稼げる仕事は、他にもたくさんある。スタートアップも最近は資金調達に成功して優秀な人材には手厚い待遇が待っているし、私の友人も某外資系大手企業からメルカリの重役に引き抜かれて、楽しいキャリア人生を送っている。
2020年台序盤の現在、投資銀行部門よりはよっぽど楽で、楽しくたそれなりに稼げる仕事も他にはたくさんある。しかし一体、何が悲しくて”外資金融”とやらにしがみつくのか・・・。
外資金融転職の基本は、目的意識と自己認識(内なる納得感)が大切
これはどのような仕事でも同じく重要なのだが、貴方が投資銀行やリサーチアナリストとして、何を得るつもりなのか、その職場で何ができるのか、またその先を見据えた上で転職に臨んでほしい。
憧れの投資銀行に入った数年後、かなり高い確率であなたは違う仕事を探すことになっているため、何を得るためにここにいるのか、に関する納得感が非常に重要だ。
人は年収7万ドルを超えると、追加的な報酬がモティベーションに与える影響は提言していくというハーバード大学の研究結果は有名である。
知的労働者になるほど、自分が何のためにこの仕事に打ち込んでいるのか、という内なる納得感がモティベーションの重要な源泉になってくる。
その意味で、外資金融転職後に活躍するためにも、自分が激務の代償に何を得たいのかという納得感が重要なのである。(なお、激務に励む納得感の源泉は、結局本当にどんな志望動機があるのか、また外資金融の後のどんな目的に繋がると思っているのか、という目的意識の明確化であることは、言うまでもない。)
なお、「これ、つまらないな」と思っているが、中途半端に給料が高く、しかもほかのことを考える時間もなく、だらだらと40,50まで続けてしまう人がいるが、これを不幸か幸せかととらえるのは、個人次第で押し付けるものではない。
中には性格的にそのような仕事があっているひと、また人生の幸福は仕事には求めていない人、また奇跡的にそのような仕事が面白く、なぜだか完璧な書類作成をして褒められることでドーパミンを出しまくる人もいるので、くれぐれも内なるご自身の正直な納得感との兼ね合いで、ご判断いただきたい。