
将来やりたい仕事と、一番最初に「足をつっこむ」仕事のズレがあった場合、取り返しのつかなくなることが多いモノ。総じてエリート学生ほど一般的に、就活の時は”成長できる環境”をぼんやりと求めがちです。しかしながら、目指す方向性と違う方向への”成長”を選び、”筋トレして筋肉は大きくなったが、自分が選んだ分野の戦いに全く役に立たなかった”という人も非常に多いのです。それでは、どのようにキャリアを選択すべきか、Strong Careerの講師でもある大手法律事務所経験者が経験を語ります。
外資就活の基本:やりたい仕事と最初に選ぶ仕事の「ベクトルのズレ」に注意!
私は現在、ニューヨークに位置する某大手法律事務所で渉外弁護士として活動し、週末や来日時を利用して日本在住時代から参画していたストロングキャリアのボランティア講師を務めている。
最近よく米国のロースクールに在学中の生徒たちと面接をし、さらには自分の人生を振り返っても、ふと考える所があったので、ここでストロングキャリアを通じ、就活に励もうという皆さんと、それについてシェアしてみようと思う。
内容はずばり、就職マーケットにおける「自分の流動性」について、である。
将来やりたい仕事と、一番最初に「足をつっこむ」仕事のズレ
え、弁護士っていう資格まであるのに、立派でステータスもあり、さらには資格という壁に守られた産業なのではないですか?なぜよりによって、弁護士が流動性など気にするのですか?」という声が皆さんから聞こえてきそうである。
しかし、そこにこそ肝心な疑問が内包されているのだ、と私は思っている。人とは大抵、将来やりたい仕事と一番最初に「足をつっこむ」仕事にズレがある。
それは、何をやりたいのか、すなわち「夢」がまだみつかっていないからかもしれないし、または将来やりたい仕事のイメージはあるが、どうやったらそれに携われるのかわからない、という理由から、直接関係のない就職につくことからくるズレかもしれない。
ここで強調したいのは、この「将来やりたい仕事と最初に足を突っ込む仕事のズレ」のベクトルをまちがうと、その後痛い目にあう場合があるということである。
将来への架け橋として仕事を選んだ先は?
例をあげよう。将来米国のような先進国の大統領になり、立派な政治をして祖国あるいは世界の役に立ちたいと思う学生がいるとする。
素晴らしい夢である。しかし、カネもコネもない彼(または彼女)は、何から始めればよいか分らず、多くの米国人大統領の自伝などをよみ、「なるほど、弁護士出身者が多いんだ」ということで、まずアメリカのロースクールにいくことを決意する。
ここまでは大いにありえる展開である。しかし、ロースクールは法律のトレーニングを受ける場であり、就職するならNPOで人権などを擁護するか、政府のリーガル関係の仕事を担うか、またはローファームで渉外弁護士をするということになる。
せっかくなので学生あこがれのトップクラスの法律事務所にはいり、そこで社会経験と法曹知識を蓄えようと考えるに違いない。
さて、この人の夢と情熱が変わらなかったと仮定して、この人は必ずしも自分の夢に近づいていない可能性があるのである。弁護士であれ、役人であれ、「今の仕事」を目指したわけでなければ、とくに好きになれないことは大いに有り得るだろう。
元はと言えば、将来への掛け橋としてやってみた仕事だからだ。そうなると、今度は転職を考えるようになる。
自分が選択しているキャリアと、転職したい(将来やりたい仕事に近づける)仕事の整合性が重要
その時点に於いて、この人の「夢」と、転職マーケットにおける「流動性(つまりその夢に近づく仕事に転職できるかどうか。そのビジョンに沿った業種で、貴方への需要があるかどうか)」のズレは、大きな問題として明るみになるであろう。
すなわち、外資系トップ・ファーム出身の弁護士として転職するのだが、だからといって他の多くの魅力的な仕事からすれば「うちの産業にかんしては無知識の素人さん」でしかないのである。
かのビル・ゲイツでさえ、明日からすぐに朝日新聞の新聞配達員をこなせない様に、この弁護士の経歴も(まるで私の事を言っている様であるが、他のやりたい仕事に必ずしもうまく結び付かない場合がある。
20歳のあの時、ロースクールにいくことにした決断を起点とする「自分の流動性のベクトル」が、究極の「夢」や自分の将来の選択肢の幅を実は制限したかもしれないのである。
あの時、何をすべきだったのか。私は早い段階での「自分の流動性」に対する「マーケットチェック」(*注釈:自分が転職したい方向性に対し、自分が歩みつつ、自分のこれまでのキャリアに市場価値はあるか、需要はあるか)が肝要であると考える。
自分が尊敬する人々に考えを述べ、アドバイスを求めよ!
友人や親や大学の教授、そして弊社セミナーを通じて巡り会う数々の経験豊富で尊敬に値する人たちに、「自分はどういう人間なので、これをこういう理由で目指したいです。でも、こういうこともできる立ち位置に居続けたいと思っています。ロースクール(あるいはMBA留学あるいはPhD留学)は、これらの目標の役にたつでしょうか?」と正直に、そして自分自身が整理・納得できるまでぶつけるのである。
経験者に聞く業界の話と、本でよむノウハウ系の内容は、雲泥の差であることが多いのは諸君も薄々ご承知に違いない。それは、私が生業とする米国法弁護士稼業でも同じであろう。
事実、世界中のトップクラスのロースクールの学生の考えているトップ ローファームの仕事と、我々の立ち向かう実際の業務はあきれるほど違っていることがある。だから、転職率も案外高い。(あえて付け加えると、転職したからといっても、悩みやフラストレーションを抱え続ける人も多い。)
よく年上の人たちは「学生は若いんだから将来の可能性は無限大である」というのが口癖である。正しいのだが、私が敢えて付け加えたいのは「だからこそ、まさに今しっかり自分の目で調査を怠らず、これからのベクトルを誤らずにしておきなさい。そして、そのためかく恥は自分の将来の流動性への対価だとおもい、堂々と情熱をもって探求しなさい」ということなのである。
資格で守られても決して、人生で悔いなく死ねるわけではない
医者も弁護士も(そしてビルゲイツも)、資格や立場でまもられたポジションについたからといって、それが「あなた」自身への最終的満足や成功にいたらないかもしれない。
自分が将来死ぬ時、そのまさに断末魔の瞬間に、「自分はこの資格があるから悔いなく死ねる」とは決して思わないかもしれないのである。
こう考えれば「一時的な失敗:に終わるかもしれない就職活動も、今の重要な「自分の将来的流動性のマーケットチェック」の一環だと思えば、それはなかったより遥かに健全な、自分の今後のベクトル設定に助するプロセスなのである。