
優秀な若手ビジネスパーソン・転職者・就活生が集うストロングキャリアですが、中には自分が目指しているものが何なのか、何のために目指しているのかという哲学的問いに悩まれる方もいらっしゃいます。そして弊社はそのような本質的な問いを真剣に考える方にこそ、御参画していただきたいと考えております。今回はリーダーの定義と目的、そして自分はどう社会に貢献していくのかという検討について、論じます。
東京大学 法学部 TJさんより質問
私は、大学を卒業後、二年間海外にてベンチャー会社の立ち上げに参画していました。
それは、ビジネスリーダーとしての自分の成長を考えたときに、国際感覚や行動力といったある種感覚的要素(衝撃)を若いうちに体得したかったからです。
しかし、今になって新たに考えさせることが二点ありました。
1つ目は、そもそもビジネスリーダーとは何か再定義する必要があると思ったことです。
当初感覚的な要素を身に付けた後は分析やエスタブリッシュされたビジネス力を身に付けて・・・などと考えていたのは、ビジネスリーダーと銘打ってい たものは「何でもできる理想のスーパージェネラリスト」といった枠に収まっていたような気がします。
しかし、厄介なのは「リーダー」よりも「ビジネス」という部分で、会社とは何か、結局ビジネスにおけるリーダーとは何か(社長である、と簡単に銘打っていいのか)少しわからなくなっています。
2つ目は、仮にビジネスリーダーを再定義できたとして、ビジネスリーダーになってどうしたいのか、そもそもビジネスリーダーになりたいと思う所以はどこにあるのかを考え始めたことです。
今までは内なる成長、つまり自分の人間的な成長に焦点が当たっていたように思いますが、最近はやはりどうやって今の社会の問題点を解決していくかという外的要因が強くなっています。
海外で真剣に人生を考える機会を得たのがよかったと思いますが、逆に社会にどう貢献していくべきかまだあまり検討がついていません。
大前研一さんみたいになるのか、実業家になるのか、政治家になるのか。。どういった切り口でこういう問題に対処したらよいでしょうか。
講師による回答:大前研一さんのようになってはいけない
大前研一さんみたいになってはいけません。あなたは自分らしさを追求するのです。、、、、と言われても、困りますよね。そもそも「自分らしい生き方」ほど、皆使う割に、何を指しているのか意味不明な言葉はないのですから。定義不明だから、その言葉で考えても「自分らしい生き方だ」という納得感を得るのは至難の業なのです。
さて、ビジネスリーダーのあり方と、社会貢献する際の立ち位置のタイプについて素晴らしい御質問を頂きました。
以下では、世界各国の金融やコンサルティングの仕事で見てきた銀行の頭取、投資銀行のパートナー、ファンドの創業者、上場企業の社長、ベンチャーキャピタリスト、の方々と接してきた経験からビジネスリーダーの特徴を書かせていただきます。
リーダーの3大共通項とは?
ビジネスリーダーの定義は人それぞれですが、月並みな言い方で恐縮ですが優先順位の高い共通項は「ビジョンの設定(しばしば個人的な熱狂を伴う)」「人・資金などリソースの調達」「人の動機づけ」となります。
いみじくも書かれたように、どんな問題を解決したいのかの設定が、リーダーの大きな役割だからです。ビジネスリーダーになって何をしたいのかを考えることは、そもそも自分にとってのビジネスとは何なとかというビジネス哲学の思考に繋がり、最終的には世界観や人生観に行きつきます。
というのも世の中でやらなければならないことは最後は価値観に依存しており、価値観は最終的に主観であり、科学的・客観的裏付けなど無いからです。
特定の宗教観にたてば、全ての活動は無意味であるともいえる中、何に価値があり、達成すべき目標なのかを実感し、それを伝えてリソースを調達するのが、リーダーシップでありアントレプレナーシップなのです。
問題意識が強く、解決したい気持ちが強くなければ、リーダーになってはいけない~そんな時は、サポートリーダーシップを発揮しよう
「なんでもできるジェネラリストリーダー」を目指されていたというのは、よくあるパターンではありますが、言いかえれば「何を目指しているかわからない」ときに抱きがちな「暫定的目標」です。
そして、効率的に人と資金を調達し、効率的にチームワークがなされるよう管理方法を学ぶというテクニカルな意味では、ある程度達成可能です。
しかし「何を解決するのかを決める」というレベルでは、人によってできることが大きく変わります。というのも、何を解決したいかという問題意識は極めて個人的な経験や感動、苦しみに根差すものだからです。
誰かさんががん撲滅の起業をして大成功しても、その人のように幼少期の時に母親が乳がんで亡くなった、という原体験がなければ、自分が頑張れるわけもないので、その分野のリーダーになれもしないですし、なろうとしてもいけないのです。
ただし、こういうときは相談者様が指摘されている「ジェネラリスト的なリーダーシップ」で、問題意識溢れるリーダーを支える役割も、一つの立派な生き方です。なにせ多くの人は、何かを解決したいという同期より、誰か好きな人、尊敬できる人と一緒に行動を共にしたいという欲求の方が強いのですから。
言い換えれば、特に問題意識も強くこだわりたいビジョンもないのなら、リーダー以外の生き方のほうが、自分と社会のためだということを意味します。
その理由は、他に自分よりうまくできる人が調達すべきリソースを奪ってしまうからか、どうせ負ける勝負で競争していると、その間使った人と資金が無駄になってしまうからです。
まぁ、自己満足という個人的な価値は満たせるかもしれませんし、人生は自己満足だという人生観があるのであれば、その限りにおいて合理的でしょう。
またその間の労働者の生計を支えたというデマンドサイドの経済効果はありますが、社会的なサプライサイドの経済効果はゼロかネガティブとなります。
リーダーとは目指すものではなく、問題を解決する手段~自分だからこそ解決したい問題、自分だからこそ見れる、「より良いビジョン」は何か?
一流のリーダーは、他の人がやらないからこそ自分が挑戦する、強い「アントレプレナーシップ」を有しています。
ビジネスや金儲けがあくまで問題解決の手段であることを理解しており、価値あるビジョン達成のためにビジネスモデルを組み立て、投資家から資金を調達し、人材を採用し、顧客を満足させ、ビジョン追及のために利益を上げることを理解しています。
例えば某最大手ハウスメーカーの社長は、企業の利益、株主への配当、従業員の給料のみならず社会が必要なことに対し、会社が何を出来るかという視点で常に私に熱く話して下さり、やはり他のステークホルダーの納得を得られる範囲で社会貢献の在り方を追求されていたように思います。
ユニクロの柳井さんも、既存の小売業の多くが倒産に追い込まれましたが、良質の服を安価で提供するという意味で日本のアパレル業界に大きな足跡を残されました。
ソフトバンクの孫社長に至っては言うまでもありません。
ここで重要なのは、「安価で良質な服を届ける」でも「優秀なプロフェッショナルに、向いている仕事をする支援をする」でもなんでもいいのですが、その提供価値になぜ価値があるのか、自分が納得している必要があるのです。
これらは普遍的な価値ではなく、個人的な原体験に根差すだけに、自分がリーダーになるならば、自分の個人的原体験か、今後強い感情を巻き起こす原体験を積んでいかなければなりません。
リーダーであるというのは、目指す対象ではなく、問題解決の手段です。仮にリーダーであること自体が目的であれば、それはやることがないのにとにかく議員に当選したい、ろくでもない国会議員や地方議員と変わることはないのです。
社会にどのようにして貢献していくか~内的要因と外的要因がクロスするポイントはどこにあるのか?
ここまではビジネスリーダーの再定義について論じてきました。つまり相談者様が仰るところの「なんでもできるジェネラリスト的リーダー」から、自分の原体験・価値観に根差して解決したい問題を解決するためのビジネスリーダーという再定義です。
なお人によってこの再定義内容は変わってくるので、その定義次第で2つ目に挙げられていた「ビジネスリーダーになって何をしたいのか」「なぜビジネスリーダーになりたいのか」の議論も変わってくるのですが、簡単に言い換えれば「どの問題を、自分が先頭に立って解決したいのか」ということに行きつくでしょう。
自分が先頭に立つことの正当な理由は、その問題を認識しているのが自分で、その解決後の最もよいビジョンを持っているのが自分で、その解決の為の処方性のアイデアを持っており、その実現のためにリソース調達できるのが自分という4条件を満たしているのが望ましいです。
しかし、べつに自分ひとりで満たしていなくても、自分が揃えらるチームでそれを満たしていれば、「リーダーシップチーム」として立派な正当性を付与できるでしょう。
なお内的要因か外的要因、どちらを人生で求めるのかは、パーソナリティテストでよく試される問題です。これは性格にもよりますし、人生ステージにもよります。
相談者様のように、社会問題解決に貢献することで充実感・幸福感を得られるタイプの方は、まず念のため、それが教育や社会的言説の結果、無意識に刷り込まれた思い込みでないかを自問するプロセスを経ましょう。
その後に御自身の原体験および強い価値観に根差して上の4つの要素でスクリーニングされることで、どんなビジネスで(解決する課題の選定)、どんな立ち位置で貢献するのかが見えてくることでしょう。
成熟した問題意識溢れる相談者様のご成功を、祈念申しております。