
企業価値の定義次第で、会社の方向性が大きく変わってしまいます。従来の資本価値の計算だけではなく、新たな「企業価値」の再定義が求められています。
東京大学農学部 大学院 男性より質問
昨今、日本でもM&Aが数多く行われるようになりましたが、その中には売り手側株主や買い手側株主だけの利点になる案件、すなわち従業員などにとってはマイナスなM&Aも多々存在するかと思います。
また、会社が株主のものであるという観点では短期的な利益の追求が経営陣の課題となり、長期的な成長が実現されないこともあるかと思います。
これらの点を考慮すると、一概に会社は株主のものとは言えないと思いますが、しかし、現在の流れとしては会社は株主のものとする考えが主流になりつつあるのではないかと思います。
この流れはさらに加速するのでしょうか。
講師による回答
会社とは、誰のものか?
加速しないですし、加速させてはいけないのです。
企業価値とは、本来定義次第です。企業とは何か、価値とは何かを考えると、起業が果たすべき役割とはなにか、どのような価値観を重視するかという哲学的な問いに行きつきます。
しかし金融市場で定義されている株主価値、ないし企業価値は資本価値の側面に過ぎないのに、その最大化が目的とされ、他の価値が無視された反動で貧富の格差拡大に繋がりました。
むしろ今はこの流れが再考され、どのような多様な価値を企業価値とするのか、経営者や投資家、社会の価値観が試される局面になっています。
企業価値の再定義を、皆さんはどのように考えられるでしょうか?以下に企業価値を考えるときのいくつかの側面を議論します。
たしかに、法的には会社は株主のものです。
ただし広義には、4つの側面で考えるべきでしょう。①価値が会社には法的所有主は誰かという側面と、②その働いている社員の効用を高めるという側面と、③サービスを通じて顧客に貢献する側面と、④利益を度外視して社会貢献するという側面のバランスが求められています。
また5点目として、短期の利益と長期の投資のバランスも求められるでしょう。
皆さんのキャリア選択や面接準備につながるインプリケーションで言いますと、会社は誰のものか、という最近バンカーが出してしまいがちな質問が出たとき、“どう議論するか”、という観点で伝えましょう。
まずは、会社とは誰のものか、という恐ろしくばっくりした内容をどのような要素に分解するか。
ここで議論の展開の仕方、切り口、分ける単位が腕の見せ所です。
また、なぜ株主以外の価値を重視するのか、自分の価値観に照らして、上滑りしない実体験に基づき話すのが効果的です。
金融業界での「企業価値」と異なる定義を考えよう
私なら日ごろ考えている企業価値について持論をぶつでしょう。
投資銀行で言うところの企業価値とは時価総額+ネット負債(有利子負債から現金性資産を差し引いたもの)を指しますが、これでは「この定義の企業価値」こそ、「企業の価値そのもの」である、という「株主価値=企業の価値」と普遍化する誤解が生じます。
これはあくまで出資者にとっての価値という意味で、価値を計る一つの尺度に過ぎません。
何兆もの売り上げの会社が、何百億の売り上げの会社よりその産業の見通しのマージンの低さから、“企業価値”が低いこともままあるのです。
しかしその膨大な売り上げは無数の下請けを支え、何万もの社員を支えています。また損をしてでも社会インフラに投資する、という“社会的な価値”を有している企業も数多いものです。
ところが、ネット負債と時価総額の総和を“企業価値”と信じ込ませるファイナンス授業の表記方法が、企業のバリューを計る多様な尺度から社会の目をそらさせてしまっています。
企業の評価には、多様な尺度がある
だからこそ、「企業価値を高めるため」などともっともらしいことを言いながら、投資家が会社をダメにすることも多いのです。たとえば強いバランスシートでキャッシュじゃぶじゃぶの会社が、低マージンでもおいしいソースを作り続けたら社員と主婦とトンカツ屋はハッピーになるのに、怖い投資家のおじさんがアメリカからやってきて、訴訟をちらつかせてキャッシュを配当で吐き出させるのです。
そして株価が上がったらショートを浴びせて大もうけして帰っていく - そして残ったのは「投資余力と財務体力の落ちた、ニュースに踊らされた個人投資家が高掴みした倒産寸前のローマージン企業」ということになるのです。もちろんそのあとに待っているのは、従業員のリストラです。
(この意味で、どのような期待値をもつ投資家から出資を受けるのかという資本政策が、企業が追求できる価値を決めてしまうといっても過言ではないのです。)
この教訓は何か。これは、企業価値の定義、また価値を図る時間軸が、短期的な投資家の利益最大化のために、他のステークホルダーの価値を大いに犠牲にしてしまっていることを意味します。
「企業価値を高めるため」といわれるともっともらしいのですが、「企業価値」の定義が、極めて短期的で一面的なのです。
ここからのインプリケーションは、「企業価値」の定義をあらたにどう再定義するかという大きな仕事の必要性を意味します。
従来のまやかしである、「株主資本価値+ネットデット」ではなく、むしろ従業員満足度+10年間で見た資本視聴率(株価ではなく簿価
)+CSRインデックス(これを作るのも大仕事ですが)といった、複合的な指標からなる「新・企業価値」の再定義が必要なのです。
こんなことを言っていると、投資家相手の金融機関でのキャリアはおぼつかないので、何が何でも投資銀行に入りたいなら、このような哲学論争を面接で挑むのは考え物です。
しかしながら、逆にそんな資本主義に身を染める今の金融機関に入ってよいのか、というキャリア上の自問にもつながることでしょう。